聴き手のナビゲーションの例え 2015年9月28日 追記

聴き手のナビゲーションの例え 2015年9月28日 追記
(その4)ノリントンの94番の演奏を聴く前後に、この交響曲の由来などについて、ネットで調べてみた。この中で、ハイドン106の交響曲を聴くで、最初の部分でも触れてあった岩城宏之氏の「ハイドンは苦手」の部分に関連したコメントがあった。アマチュアオーケストラ 新交響楽団でのハイドンの紹介プログラムからのコメントで以下のサイトで見られる。
http://www.shinkyo.com/concert/i214-2.html

ここでは、アマチュアオーケストラでのハイドンを演奏する機会が少ない理由などが主に論点となっている。大曲と比べて管楽器の出番が少ない。弦楽器では過去の時代を知っている我々では、現代の大編成の弦楽器で、うまく表現ができるかなど。
これらに加えて、3番目として演奏の難しさがある。ここでは、例の楽譜の風景からの引用がある。
 「ベートーヴェン以後の交響曲の隆盛を知り、その恩恵を充分に蒙っている現代の我々は、ハイドンの交響曲をともすれば未だ完成されていないスタイルの「習作」のように捉えがちな気がしている。
 それは速い楽章のメリハリの無さと見えたり、緩徐楽章の冗漫さと感じられたり、或いはオーケストレーションの未分化(木管楽器のパートは2本揃っていても殆どがユニゾンである)などという形で耳目に障る事がある。これらは作曲者の生きた時代背景を反映している。
 我々は概ね、この印象を拭いきれない時点で、ハイドンの交響曲をプログラム検討の俎上から下ろしてしまっている。実に残念且つ愚かしい事だと考えざるを得ない。
 現実にはそうした点を克服し、一個の確立したスタイルを表出した演奏を作り上げる過程で詳細に作品の構造を見てゆくと、岩城氏のいう「複雑さ」に気づき、「難しさ」に行き当たるのである。ここで初めてハイドンの交響曲の演奏に対するやりがいが理解されうる状態になる。」
 ここでは、やはり、ハイドンを含めて過去を知っていることから、ある意味ジレンマも考えられる。すなわち、ハイドンの前はもとより、当時、及びその後の歴史まで、現代の我々は知っている。一方、ハイドンの演奏された当時は、現代音楽であった。特にロンドンでは、新作が披露され、演奏会では聴衆も演奏に反応した。当時は、作曲と演奏がセットであった。
 それに対して、我々、現代は、ハイドン以降の作曲者や演奏を知っている。特に、ベートーヴェンの様な曲を最初に知ってしまうと、ハイドンは後ろに追いやられてしまう傾向にあろう。それに伴いハイドンの複雑さ、難しさなども影に追いやられてしまうのではないかと思った。 

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ハイドン 音楽史 スコア

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