音楽史の中のハイドン2 9.副題から見られるシンフォニーの人気 その34-36

9.副題から見られるシンフォニーの人気
(その34) 交響曲の生涯にも記載がしてあるが、「副題は人気のバロメーター?」も、興味深い。ハイドンの交響曲は、副題を伴うものが約30曲知られている。しかし、生前に、付けられたものは、数曲に留まる。以下の通り。(他にもあるかもしれないが)
No.7:昼
No.26:ラメンタチオーネ
No.45:告別
No.69:ラウドン
No.73:狩
No.100:軍隊
上記以外は、没後、すなわち1809年以降に付けられたとされている。いつごろから付けられたかを断定するのは、そもそも誰が命名したのかも、はっきりしていない点も多いと思うので難しい。ましてや、誰が、どの地域から命名が始まったのかを調べるのはさらに難しい。副題(ニックネーム)の由来の調査もある程度、限界はあろう。
(その35)
 副題を持つ約30曲近くは、没後に、しかも様々な由来で命名された。交響曲の生涯にもこの当たりについて記述がある.。ハイドンの場合、その殆どがハイドン自身でなく、後年、多くは19世紀に入ってから命名されている。作曲家の知らぬところで副題が付けられたということは、それが非常に広い範囲で演奏され、親しめられていたことを示す。シンフォニー自体も、作曲者自身の通し番号がない。約100曲近くのシンフォニーが印刷楽譜等を通して、後年広まった。これらのシンフォニーを、それぞれ区別する方法としても、副題が付けられたものも原因と思われる。一番多いD調のシンフォニーなどは、22曲にも渡り、区別がさらに難しい。
 交響曲の区別の方法としては、この頃は、大体、調性のみで、区別をされていたと思う。たとえば、ロンドン ザロモンコンサートのプログラムを見てみると、より明白になる。一例として、副題が初演当時は、殆どなかたため、○調のシンフォニーの記述となっている。副題が、付けられる理由の一つには、交響曲の自律化、大衆化とも大いに関係がある。自律化とは、何度か、このコーナーでも記述をしたが、コンサートの額縁、フレームとしての位置づけからの進化したこと。大衆化とは、限られた階層が中心の宮廷を中心とした会場から、大衆(といっても裕福な市民が中心だったが)へ、聴衆が広がったこと。これにともない、交響曲も一部の階層から大衆に向けて、変化をしたこと。
 
(その36)一方、作曲家が自ら、出版に際し、不特定多数の聴衆を意識していた。副題をつければ、その作品の流布に際して、大きな期待を寄せていた証拠にもなる。1782年にハイドンはヴィーンのアルタリア社の手紙で次の様に記している。アルタリアはハイドンの交響曲No.69のピアノ編曲版を出そうとしていた。ハイドンはそのフィナーレは、ピアノ編曲には向いていないと考えた。「ラウドンという名前を付けるほうが、フィナーレを10通り書くよりも、ずっと売れるであろうと」述べている。ラウドンは当時のオーストリアの有名な将軍ラウドン元帥に因んでいる。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
08 | 2014/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
フリーエリア
    follow me on Twitter
    アクセスカウンタ-
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    リンク
    プロフィール

    tenkichi995

    Author:tenkichi995
    FC2ブログへようこそ!ハイドン 探求。交響曲の初期から最後までで、聴き比べを中心に掲載。