反音楽史 21

(21)その21 譜面から演奏の音源が変わって
 井上著「ハイドン106の交響曲を聞く」の冒頭で、18世紀後半の当時とクラッシック音の位置付けについて記さがされている。何度もこの本は時折、交響曲の詳細を比較していく上で、中身をチェックしていたが、冒頭は、最近読んでいなかった。その中で、18世紀の後半、当時、「コンサートはあったが、この時代にクラッシック音がウィーンのコンサートはなかったのか?」と言う、参加者への質問が興味深い。
 当時の現代音楽が、ハイドンの作曲していた時代の音楽であった。その点、現代のポピュラー音楽と同じといえる。音楽というのは、演奏と言う行為によって成立する。作曲家が書いた楽譜は、設計図に過ぎない。反音楽史でも、作曲家と演奏家の年収の作曲家や聴衆の興味の対象について、記載がされていた。作曲家が自作を演奏することは可能であるが、それは、一人で演奏できる楽器に限られる。オーケストラで自作を指揮することは、また、違う行為となる。
 また、音楽には、作曲家と演奏家がいれば、それで終わりではない。聞き手の存在が必要となる。音楽は聞き手の存在によって、完全になるところが聞き手の受け取り方は自由であり、時代や環境によって大きく変わる。
 作曲家が書いた楽譜を、演奏家が解釈し、聴衆に訴えて成立するコンサートの音楽は、作曲家と演奏家の心の反映である。つまり聴衆との対話となる。そして演奏が終われば、聴衆は拍手かブーイングで応える。聴衆の心は我々変わりやすく、聴かないという自由もある。20世紀に入り、レコード音楽が普及し始めると、聴衆の範囲は大きく広がり、それが評価の基準となる。
 ハイドンが生きていた18世紀後半は、音楽の伝達手段は、楽譜しかなかった。音楽愛好家が家庭で演奏するために、楽譜の需要は想像以上にあった。また楽譜が贈答用に使われることも多く、楽譜出版は作曲家にとって、有力な収入源のひとつであった。しかし著作権が確立していなかたので、偽作や海賊版も多く出回っていた。
 19世紀に入ると、それまで貴族や上流市民階級だけだった音楽が、一般市民に行き渡る。また文学や哲学への結びつきが強まって、ベートーヴェンに代表される自己主張の強烈な音楽に聴衆が関心を抱くようになる。それはまた、楽器、特に、鍵盤楽器に大きな変化をもたらす。それとともに、リストやパガニーニなどの超絶的な技巧の演奏を聴くばかりでなく、見て楽しむ傾向も現れる。これはモーツァルトが神童と言われた時代と同じで、一種の見世物的な間隔とも一致する。また、オーケストラの編成が大きくなり、ワーグナーやベルリオーズの様な、巨大な音楽こそ芸術の極みである様になった。 そうなると、モーツァルトやハイドンの音楽は軽いとされ、コンサートプログラムでは、前座を飾るものになってしまう。もはや21世紀の現代は、ハイドンの生きていた時代の当時のコンサートとは、大きく様変わりをしている。

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