反音楽史 10

(10) その10 協奏曲の誕生
 上記(9)のところで、オペラの成立について記載をした。ルネッサンスはイタリアから始まり、そこに起こった芸術は学問は、アルプスを越えて、北の方へ、少しずつ波及していった。音楽の技法は、アルプスの北にも、もたらせるが作曲技法や演奏家(歌手)の面でも、北の諸国は、輸入国にならざるを得なかった。当時の宮廷演劇はギリシャ・ローマ時代の英雄的な悲劇を中心とした題材による芝居だった。題材そのものは、高尚で教化的であったが、観客である貴族は、人格が高潔で趣味が高尚であったとは限らない。なによりも娯楽であるべき お芝居 の正解には、それなりの眼の保養、耳の保養、口の保養が求められた。
  一方、当時のイタリアが、仮に声楽に優れたとしても、器楽に関しては、ドイツと言う印象が思われるかもしれない。しかし、器楽の面においても、圧倒的に優位に立っていたのは、イタリア人であった。ヴァイオリン演奏家でも、多くのドイツの宮廷では、楽長職はもちろん、コンサートマスター級の奏者を高給で招聘していた。18世紀までには、歌や踊りの伴奏をする ヴァイオリン属は、どの楽器よりもよく鳴り、よく響くので、オーケストラ一族の主流になっていく。ただ、音が大きく、表情が「あつかましい」というので、王侯貴族の女たちの部屋からは敬遠された。彼女らが自分の歌の伴奏用として愛した楽器やギター、マンドリン、小型のチェンバロなどであった。
 モーツァルトが1770年 当時の歌手たちを音符で記録している。今の人の眼には、超絶技巧と言うべき発声の技術を当時も持っており、難曲をこなし、その音域は3オクターブを持っていた。それに比べると、楽器は全て見劣り、せいぜい伴奏の役しかなかった。
 実際、演奏家の年俸の器楽の奏者は歌手と比較して低かった。(年俸ひとつをとってみても、歌手と奏者では格段の差が当時はあった)
 その後、イタリア人の声への挑戦が始まり、声楽をしのぐ演奏をする人たちが出てきた。歴史に残る名前として、トレッリ、ヴィヴァルディ、マルッチェロなど。この人たちは、声楽にも優る、みごとな響きを聴かせた。そうなれば、楽器の名人たちが、まるでオペラ歌手と同じように、オーケストラを伴奏にして、至難のアリアを歌いまくる革命的な曲が出現する。これをコンサート concerto 用の曲、 つまり協奏曲と呼ぶようになった。1楽器の身分で人の声をしのぐような離れ技を聴かせる。それは、有史以来、初めての、だいそれた革命的な事件であり、名人奏者がそれを可能にした。18世紀も後半になると、振興楽器のピアノも仲間入りし、協奏曲は花盛りのジャンルになる。
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